重さ 奈良の大仏








東大寺の大仏の大きさを復活させることが、筒井順慶の果たせなかった願いではないか。

大和の地に生まれ、2才で筒井家の当主となり、36才で早逝した筒井順慶の夢を紐解くと、

東大寺の大仏の大きさを自分の時代に縮めてしまったことを悔しがっていたのだと、

一方的に想像してしまうのだ。


奈良と言えば東大寺、東大寺と言えば大仏様、大和の国のみならず全国の老若男女みなが

知っている古からの宝物、各地の国分寺の中心、聖武天皇の祈りが込められた大仏像。

生きるために、松永弾正との長く続いた戦をやり切り、なんとか筒井家が大和一国を統一できた。





その代償は大きなもので、とりわけ三好衆と共に松永勢と戦った東大寺の戦においては、

東大寺の幾つかの院を焼失させてしまい、南大門で鉄砲を撃ち合い、

大仏殿を燃やし、あの東大寺大仏の頭部を失くすような戦にしてしまった。


頭部だけで6mもある東大寺大仏だから、

もともと15mあった身長を、9mにまで短くしてしまったのは、筒井順慶も加担した戦が切っ掛け。


それもこれも、悪役・松永弾正を倒し、奈良の地を自分の掌中するまでのこと。

お寺の文化に精通し、大和を愛する筒井順慶は、

大和国内を安定させた後に、東大寺大仏の大きさはもちろん、

続いた戦で失われた東大寺などの文化を復活させる心づもりを持っていたに違いない。


しかし時代は、織田信長の勢力拡大に伴い、筒井順慶にも各地へ出陣するように命令が下り、

思うように大和国内の文化回復に時間もお金も費やすことができなかった。


そんな中、病に倒れた筒井順慶は、そのまま息を引き取ってしまう。

島左近や高山右近のような良い将が側近にいてくれたのには、

筒井順慶自身に何か魅力があってのことで、

それが奈良の文化を重んじる筒井順慶の姿勢だったのだと、私は信じたい気持ちでいっぱい。


東大寺の大仏の大きさを復活できなかったことが、筒井順慶の果たせなかった夢?